歴史・迷宮解:歯から探る昔の健康 江戸期、歯磨きの功罪

約400万〜200万年前に生存した初期人類、アウストラロピテクスの化石人骨にも、虫歯の痕跡が残されている。人類は大昔から虫歯や歯周病に悩まされてきた。歯の病気は、現代人の生活習慣病である糖尿病や心血管疾患を悪化させる要因でもある。歯の健康の手がかりを探ろうと、藤田尚・新潟県立看護大准教授が古人骨の歯を精力的に調べている。

昨年、江戸時代の12遺跡から出土した82体の人骨の残存歯数を年齢別、男女別に調べた論文を発表した。藤田さんも驚くほど、江戸時代人には多くの歯があった。

永久歯32本のうちの喪失本数を1人当たり平均でみると、壮年(20〜39歳)の男性では2,5本、女性では2本、熟年(40〜49歳)の男性では5,33本、女性では4,92本だった。壮年では30本前後、熟年でも27本前後の歯が残っている。現代人とあまり変わらない。

ただし、老年(50歳以上)の3体は、うち2体が全歯欠損で、平均の喪失本数が29,67本と、ほとんどの歯がなくなっていた。40代までは残っていた歯が、50代になって一気になくなったということだ。

よく残っていた理由の一つは、砂糖が入った菓子などを現代人ほどには食べなかったことが考えられる。9遺跡から出土した99体の江戸時代人骨の永久歯1873本を、藤田さんらが以前に調べた論文では、残っていた歯のうち虫歯が占める割合は壮年で7%、熟年・老年で18・8%だった。高齢になるほど虫歯が多くなっていたが、現代人の40%を超える虫歯率よりはかなり低い。

もう一つの理由は、江戸時代に歯磨きの習慣が一般民衆にも広まったことだ。縄文時代人の虫歯は29%が頬側(臼歯の外側)にあるが、江戸時代人では15%と半減する。頬側は歯磨きがしやすいからだと考えられる。

熟年では上あごと下あごで、なくなった歯の数に差があり、上の歯の方がよく抜けていた。虫歯の数は上と下で変わらないので、抜けた原因は歯周病と考えられる。上あごの方が歯を支える歯槽骨が弱いため、上の歯から先に抜けていったと推測される。

江戸時代人の歯には、表面が露出している歯冠と、歯茎に隠れている歯根の境目(歯頸部)がえぐれる楔状欠損がみられる。歯冠は硬いエナメル質で覆われているが、歯根の表面は軟らかいセメント質なので、えぐれやすいのだ。

現代人にもよくみられ、歯磨きが原因と考えられるが、歯をかみ合わせる力(咬合圧)が強いために歯の表面に微細な破壊が起きるとする説や、歯ぎしりが原因とする説もある。

そこで藤田さんは、日本人の楔状欠損がどこまでさかのぼれるか、縄文時代から江戸時代までの古人骨628体の歯8002本を調べた。

歯のすり減り方は縄文時代が一番大きく、時代が下って、食事が軟らかくなるにつれて小さくなった。縄文時代人では歯髄(歯の神経)が露出するほど表面がすり減った歯もあり、かみ合わせの力が強かったと考えられるが、楔状欠損はなかった。日本人の歯に楔状欠損が現れるのは江戸時代からだ。

江戸時代の楔状欠損を細かく観察すると、歯槽骨が下がって歯根が露出したものがある。歯周病で歯茎が下がっていたようだ。江戸時代には柳などの枝の先端をほぐして軟らかい房状にした房楊枝(ようじ)が歯ブラシとして使われた。質の悪い磨き砂を使って、ごしごしと横向きにこすったためにえぐれたのだろう。(毎日新聞より)