《みしま歯科医院定例勉強会》

今日は、みしま歯科医院の定例勉強会です 🙂 今回のテーマは《力を感じる》です。口にはさまざまな力が関係しています。その、力が時として悪さを起こします :-! 顎が痛い・歯がしみる・顎がだるい・歯が欠ける・銀歯がすぐに外れる・原因不明の歯の痛み等さまざまな症状を起こします。今回は、実際の歯の写真やレントゲンなどを使用し、スタッフと勉強会をしました。睡眠時の歯ぎしりや噛みしめ、普段の唇を噛んだり、爪を噛んだり、ほおづえが癖になっていたりしますと、歯並びや歯にかなりのダメージが起きることが分かっています。皆さんのご家族やお友達が歯ぎしりをする方がいたら要注意です。自分で気がつかない内に口の崩壊が進んでいることもあります。

みしま歯科医院では、早期に患者さんに状況を説明し、かみ合わせ治療やマウスピース治療を行っています。崩壊前に力のコントロールが重要です!皆さんの周りには歯ぎしりしている方はいませんか?

業務高度化の歯科技工士 (^O^)

みなさん、歯科技工士という職業をご存じですか。歯科技工(入れ歯や、歯の詰め物やかぶせを作ること)の専門家のことです。

 戦前の歯科医療は、歯を抜いて、あとに入れ歯を入れるのが主流でした。また当時は、社会保険制度もありませんでしたので、歯科治療を受ける患者さんも今とは比べものにならないほど少なかったようです。だから入れ歯もほとんど歯科医師自身が作っていました。

 

戦後、社会保険制度の充実により、歯科を訪れる患者さんが飛躍的に増加しました。そのため、歯科技工を歯科技工師に委託することも多くなりました。そして昭和三十年、歯科技工士法といい法律が制定されて資格が定められ、歯科技工士が誕生しました。

 

戦後の高度成長とともに、歯科の医療技術が進歩するに従って歯科技工士の業務も高度化し、ますます専門化してきました。歯科技工士の技術には、入れ歯などのプラスチックの加工技術、かぶせなどの金属加工の技術、また最近ではセラミックの加工技術などがありますが、毎年のように新しい材料技術が開発されています。

 

私たちデンタルチームは「もの」を患者さんに提供しているのではなく、「健康」を提供しています。だから歯科技工士の作る技工物は、単なる「もの」ではなく、生体と調和した人工臓器なのです。そのため歯科技工士は、解剖学や生理学などの医学、また金属学やセラミックなどの無機化学、レジンなどの有機化学にも精通しなければならず、大変知的な職業といえます。

歯科技工士は全国に約三万二千人いますが、全国七十二ヶ所の養成所で二年間(夜間の場合は三年間)の教育を受けたのち、国家試験に合格して資格が与えられます。

みしま歯科医院では現在病院内に3人に歯科技工士が働いています。皆さんベテランの高技術をもった優秀な歯科技工士です。

我々の歯科治療は患者さん個別のチームアプローチが必ず必要です。歯科医師・歯科技工士・歯科衛生士・歯科助手等のチームアプローチです。歯科技工士の仕事は、高精度の作業や歯の美しさを表現する芸術的な感性も必要です。写真や模型だけで患者さんと向かい合うのではなく、実際の患者さんと対面して形や色を決めていく方が確実なのは当たり前です。

みしま歯科医院では、患者さんに歯科技工士さんが直接対面で技工作製を行います。それは、より美しく、より精度の高い技工物を患者さんに提供したいからです

歯周病は旧石器時代から (@_@)

 

人類と歯周病との付き合いは大変古く、旧石器時代の早期ネアンデルタール人の顎の骨にも認められます。また最近では、猿人の骨にも歯周病が見つかりました。猿と猿人の違いは、直立歩行と火の使用ともいわれますが、まさしく火を使うようになって以来、人類は歯周病に悩まされ続けているといえるでしょう。

 

古代エジプト時代になると、歯周病はかなり一般的な病気となったようです。たとえば古代エジプトのメレンプター王(紀元前十三世紀)のミイラのX線写真をみると、歯を支える骨が溶けてなくなって歯が抜けてしまった状態や、歯がグラグラになっている状態が認められます。この王様は歯周病で歯を失ったと考えられ、きっと歯周病に悩まされていたことでしょう。

 

いろいろな古代人の歯周病の状態を比較すると、身分の高い人ほど病状がひどいことから、食べ物に恵まれ美食をしていた人ほど歯周病にかかっていたと考えられます。つまり歯周病は食習慣に影響されていたのです。

一方、むし歯は、とくに砂糖の消費量と密接な関係にあります。むし歯の原因となる砂糖の入った食べ物の乏しかった旧石器時代はもちろん、古代エジプト時代でもむし歯はまれであったといわれています。日本でも、むし歯が問題になってきたのは江戸時代以降です。

歯周病の歴史は旧石器時代にさかのぼるのですね。現代でもまだ、歯周病は根絶されていません。日本人の成人の80%が歯周病という報告もあります。ただし、歯周病になったからといって悲観することはありません!私達、歯周病の専門家がいるからです!!みしま歯科医院では各患者さんに歯周病専門家として担当歯科衛生士がおり、継続的な治療が可能です。また、患者さん個別の生活指導を心がけています。歯周病は一人で立ち向かうのではなく、私達専門家とタッグを組んで戦い抜きましょう。必ず光が見えてきますよ。けして歯周病は治せない病気ではありません

徳川家康の入れ歯 〆(°°)カキカキ..

江戸時代から日本は最先端

 

徳川家康の伝記ドラマで、新しい入れ歯がよくできてよく噛めるようになったとご満悦のシーンがありました。
 徳川家康が入れ歯をしていたことは歴史書にも記載がありよく知られています。
 そのころの入れ歯は、木ロウで型を取り、ツゲの木を削って作っていました。 ツゲの木は緻密で硬く、また抗菌作用があって不潔になりにくく、入れ歯の台として最適な材料でした。
 前歯には自分の歯かあるいは他人の歯を絹糸で台にくくり付け、奥歯は金属の釘を何本も打ち付け、よく噛めるようにしてありました。
 現存する当時の入れ歯をみると、現在の入れ歯にあまりにもよく似ているので驚くばかりです。
 江戸時代、先進国のヨーロッパではどうだったのでしょう。
 江戸時代初期(十七世紀)に、まだ入れ歯に当たるものはありませんでした。ヨーロッパ人は肉食なので、日本人以上に噛む必要性があったでしょう。
 そこで、当時の貴族階級のためにペンチのような形をした肉粉砕器が考案されていました。それで肉をつぶして、食事をしていたと記録されています。
 ヨーロッパで現在の入れ歯に近いようなものが考案されたのは、十九世紀のはじめになってからなので、日本と約二百年の差があったといえます。
 
江戸時代、日本の歯科医療を支えていたのは、仏師(仏像を作る人)でした。彼らが、殿さまや身分の高い人の求めに応じて、ツゲの木を彫刻して入れ歯を作っていたのです。
 

 現代では、歯科医師が入れ歯を作るのは当然ですが、昔は仏師だったんですね!私も入れ歯が大変好きで、色々と勉強・研究してきましたが、入れ歯を受け入れることが出来ない患者さんもいることも現実です 🙁  だたし、現在使用の入れ歯の問題があれば一度私に診てせてくださいませんか?少しの調整で、劇的に変化することもしばしばあります。私は、使える入れ歯の為に頑張りたいのです 🙂 限界があることも分かっていますが、私の性格からみしま歯科医院では全力で、入れ歯を調整しています 😉