歴史・迷宮解:歯から探る昔の健康  縄文、虫歯の陰に歯周病

甘いお菓子を食べる現代人に特有と思われがちな虫歯だが、自然とともに生きた縄文時代人も悩まされていた。藤田尚・新潟県立看護大准教授が遺跡から出土した古人骨を調べ、昔と今の虫歯のでき方を比較した。虫歯を予防するためには、単にヘルシーな自然食にすればいいというわけではなさそうだ。

縄文時代の早期から晩期までの13遺跡から出土した195体の歯3295本を藤田さんが調べたところ、虫歯が占める割合は8,2%だった。40%を超える現代人よりははるかに低いが、3%に満たない先史時代のアメリカ先住民や近現代のイヌイットに比べると、狩猟採集民としては突出して高い。

その原因として考えられるのが、植物食への依存だ。農耕社会では虫歯が激増することが世界的に知られている。日本列島の古人骨では、稲作農耕が始まった弥生時代の山口県・土井ケ浜遺跡で19,7%、佐賀県・三津遺跡で16,2%、古墳時代8,3%、室町時代14,6%、江戸時代12,1%と報告されている。

炭水化物を多く含む食物は虫歯の原因となりやすい。虫歯の病原菌が出す酵素によって、ショ糖から不溶性グルカン(バイオフィルム)というねばねばした物質が作られる。そこに他の細菌が付着して増殖し、歯垢(プラーク)となる。ここで作られた酸が歯のカルシウム分を溶かす。

縄文人が食べかすを捨てた貝塚の考古学調査によって、縄文人はカロリー摂取を炭水化物に富んだ植物食に頼っていたとされている。クリなど木の実のでんぷんを主成分とする「縄文クッキー」は歯に引っ付きやすい。縄文人は炭水化物を虫歯になりやすい調理方法で食べていたようだ。

藤田さんは虫歯の場所にも注目した。現代人の虫歯は、食物の残りかすがたまりやすい隣接面(歯と歯の間)と咬合面(上下の歯がかみ合う面)に多いが、縄文人には咬合面の虫歯がめったにみられない。

植物食の繊維に富んだ葉や茎、根などは、歯を清掃する役割を果たしていたと考えられる。硬いものを食べていた縄文人の歯は現代人とは比べものにならないほど早くすり減った。年をとって咬合面の小さな溝がなくなってからは虫歯ができにくく、もし若いころにできたとしても、すり減って消えてしまったと考えられる。

藤田さんの調査では、歯のすり減り方は、時代が下るにつれて小さくなった。江戸時代になって初めて、歯冠の咬合面にぽこっと穴があく現代型の虫歯がみられるようになる。

虫歯が歯冠に多いのは現代人だけで、江戸時代までは歯根や歯頸部(歯冠と歯根の境目)に多い。縄文人の虫歯は、隣接面や頬側(臼歯の外側)の歯根や歯頸部によくできた。

これは現代の高齢者と同じで、歯周病によると考えられる。歯と歯肉(歯茎)の間に歯垢がたまり、細菌が繁殖して、毒素によって歯肉や歯槽骨がやせる。そのために歯根や歯頸部がむき出しになる。歯根や歯頸部の表面は軟らかいセメント質なので、硬いエナメル質で覆われた歯冠よりも虫歯になりやすい。

藤田さんが縄文人の上の歯と下の歯を比較したところ、上の歯の方が多く抜けていた。下あごの骨は緻密質が多いのに対して上あごの骨は海綿質が多く、歯を支える力が弱い。虫歯は下の歯に多かったので、縄文人の歯が抜けた原因は虫歯ではなく歯周病だったと考えられる。

縄文人は、歯垢を取り除く歯磨きの仕方や、歯科治療を知らなかった。若くして歯周病が進行し、それとともに現代の高齢者にみられる歯根や歯頸部の虫歯に侵されたのだろうと、藤田さんはみている。

歴史・迷宮解:歯から探る昔の健康 江戸期、歯磨きの功罪

約400万〜200万年前に生存した初期人類、アウストラロピテクスの化石人骨にも、虫歯の痕跡が残されている。人類は大昔から虫歯や歯周病に悩まされてきた。歯の病気は、現代人の生活習慣病である糖尿病や心血管疾患を悪化させる要因でもある。歯の健康の手がかりを探ろうと、藤田尚・新潟県立看護大准教授が古人骨の歯を精力的に調べている。

昨年、江戸時代の12遺跡から出土した82体の人骨の残存歯数を年齢別、男女別に調べた論文を発表した。藤田さんも驚くほど、江戸時代人には多くの歯があった。

永久歯32本のうちの喪失本数を1人当たり平均でみると、壮年(20〜39歳)の男性では2,5本、女性では2本、熟年(40〜49歳)の男性では5,33本、女性では4,92本だった。壮年では30本前後、熟年でも27本前後の歯が残っている。現代人とあまり変わらない。

ただし、老年(50歳以上)の3体は、うち2体が全歯欠損で、平均の喪失本数が29,67本と、ほとんどの歯がなくなっていた。40代までは残っていた歯が、50代になって一気になくなったということだ。

よく残っていた理由の一つは、砂糖が入った菓子などを現代人ほどには食べなかったことが考えられる。9遺跡から出土した99体の江戸時代人骨の永久歯1873本を、藤田さんらが以前に調べた論文では、残っていた歯のうち虫歯が占める割合は壮年で7%、熟年・老年で18・8%だった。高齢になるほど虫歯が多くなっていたが、現代人の40%を超える虫歯率よりはかなり低い。

もう一つの理由は、江戸時代に歯磨きの習慣が一般民衆にも広まったことだ。縄文時代人の虫歯は29%が頬側(臼歯の外側)にあるが、江戸時代人では15%と半減する。頬側は歯磨きがしやすいからだと考えられる。

熟年では上あごと下あごで、なくなった歯の数に差があり、上の歯の方がよく抜けていた。虫歯の数は上と下で変わらないので、抜けた原因は歯周病と考えられる。上あごの方が歯を支える歯槽骨が弱いため、上の歯から先に抜けていったと推測される。

江戸時代人の歯には、表面が露出している歯冠と、歯茎に隠れている歯根の境目(歯頸部)がえぐれる楔状欠損がみられる。歯冠は硬いエナメル質で覆われているが、歯根の表面は軟らかいセメント質なので、えぐれやすいのだ。

現代人にもよくみられ、歯磨きが原因と考えられるが、歯をかみ合わせる力(咬合圧)が強いために歯の表面に微細な破壊が起きるとする説や、歯ぎしりが原因とする説もある。

そこで藤田さんは、日本人の楔状欠損がどこまでさかのぼれるか、縄文時代から江戸時代までの古人骨628体の歯8002本を調べた。

歯のすり減り方は縄文時代が一番大きく、時代が下って、食事が軟らかくなるにつれて小さくなった。縄文時代人では歯髄(歯の神経)が露出するほど表面がすり減った歯もあり、かみ合わせの力が強かったと考えられるが、楔状欠損はなかった。日本人の歯に楔状欠損が現れるのは江戸時代からだ。

江戸時代の楔状欠損を細かく観察すると、歯槽骨が下がって歯根が露出したものがある。歯周病で歯茎が下がっていたようだ。江戸時代には柳などの枝の先端をほぐして軟らかい房状にした房楊枝(ようじ)が歯ブラシとして使われた。質の悪い磨き砂を使って、ごしごしと横向きにこすったためにえぐれたのだろう。(毎日新聞より)

 

 

北海道医療大学 宮城勇大君 1日研修

今日、北海道医療大学歯学部6年生 宮城 勇大君がみしま歯科医院に1日研修に来ました。

来年4月には、新歯科医師誕生の予定です(笑)

宮城君は沖縄生まれのサッカー部出身のスポーツマン!

沖縄出身者にはこの北海道の暑さはパラダイスなのでしょうか?!

1日研修、お疲れ様でした!来年は必ず歯科医師国家試験を合格して下さいね。

診療終了後に、佐藤研修医と三嶋顕理事長と記念写真です。

歯科助手:鈴木 江梨子さん 卒業

今日(20日)をもってみしま歯科医院7条院で歯科助手として勤務していた鈴木江梨子さんが卒業(退職)されました。

鈴木さんは大変頑張り屋で、患者さんの評価も高く、私も大変助けられました。この場をかりて、スタッフを代表してお礼を申し上げます。

本当にありがとうございました。今後も色々な分野での活躍を期待いたします。

写真は先日行った送別会と今日の卒業式の様子です。